山澤STORY 山澤清の作る自然と人の物語

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山澤清プロフィール 自然と人にやさしい商品つくりを続ける

1947 昭和22年

誕生

学校卒業後、農業エンジニアとなる。
山形県庄内町で農業用大型機械、農薬による農業技術指導者となる。


農業の効率化を指導しながらも、崩れゆく庄内の生態系に心を痛める。

1973 昭和48年

新しい命

山澤26歳の時に、長男誕生。
長男はアトピー性皮膚炎と診断される。

1977 昭和52年

決別

「日本の農業」、「食のあり方」に疑問を抱き、農業エンジニアの職を辞する。


新宿でモルモン教徒が経営するレストラン「マナ」で「食」を学ぶ。
食の修行から農薬も化学肥料も使わないハーブ栽培の実践を決意する。

1980 昭和55年

理想

山形庄内に「ハーブ研究所スパール」を設立。
設立コンセプトは「地域循環型有機栽培農法」の確立。

1993 平成05年

挑戦

一般的肥料は、法律で定められた抗生物質、ワクチンが投与された家畜の糞が原料。
鳩は法律でペットに分類されるため、化学物質に汚染されない、健康な糞を提供する。


山澤はこの年、ベルギーから1,300羽の食用鳩を取り寄せる。
鳩には自身のハーブを餌に与え、その糞を完熟させ畑に与える。
無農薬地域循環型農業を確立する。

2003 平成15年

日本初

国産初、ローズヒップの基礎化粧品シリーズ発表。

2008 平成20年

日本初

絶滅の危機に瀕する黄カラスウリ再生事業。
黄カラスウリの基礎化粧品シリーズ発表。